織田信忠

サマリー(リード文)
織田信長といえば歴史上の人物の中でも有名度1位2位を争う武将で、教科書などにも取り上げられています。ではその嫡男である織田信忠をみなさんご存知でしょうか?信忠は嫡男として信長が死ぬ前に政権を譲り受け、本能寺の変で26という若さで父・信長とともにこの世を去った武将です。その儚く散った人生での信忠の活躍、また信長の嫡男としての信忠の魅力に迫ります。

■プロフィール
□本能寺の変
織田信忠は信長と同じく本能寺の変にて最期を遂げています。羽柴秀吉の援護のため、信長と同様に中国へ援護に向かう途中、織田家の家臣であった明智光秀の裏切りによって本能寺が討たれ、父・信長が自害したことを知ります。
本能寺へ援護に行こうとしていた信忠でしたが、信長の死を知ったことにより、光秀を迎え撃とうと二条城へ籠り応戦。このとき信忠の兵力はごく少数であったとされています。それに対し明智軍は大勢の兵力で二条城を襲撃。猛攻に耐えきれなかった信忠は父・信長と同様に二条城にて自害を遂げました。
この時、自身の遺体を二条御所の縁の板をはがして隠すよう命じていたといわれており、この命令によって信長と同じく信忠の遺体が発見されることはなかったとされています。
26という若さでこの世を去った信忠でしたが、信長から政権を引き継いでからは総大将としてもおおいに活躍していたとされ、大変に頭のきれる男であったことがわかります。微力でありながらも最期まで明智軍に応戦する姿や、首を渡さんとするその姿勢は父・信長から譲り受けた武将としての心構えがあってのことではないでしょうか。
なお信長に認められ、織田軍を率いるようになってからは、信長とともに鷹狩りを楽しむなど父と子のような時間を過ごすことも多かったとされています。本能寺の変の前夜、信忠が本能寺を訪れた際には「部屋にあったカエルの形をした香炉が鳴いた」という話もあります。うつけと呼ばれ、怖い父のイメージも強い信長ですが、信忠にとっては忠誠を誓った主君であり、最期まで尊敬する父親だったのかもしれません。

□松姫との婚約
織田信忠には松姫という婚約者がいました。松姫はかの武田信玄の娘であり、なんと若干7歳という年齢で11歳の信忠と婚約をさせられます。この婚約は武田信玄と織田信長の同盟のもとでの婚約でした。
信長の指示により信忠は贈り物や手紙を松姫に頻繁に贈っていたといわれ、2人の間には愛が芽生えていたように思えますが、実はこの2人が生涯会うことはなかったといわれています。しかし一部の史料により信忠の子である三法師の母が松姫だったとする説も浮上しています。
武田の滅亡後、信忠は松姫の元に使いの者を行かせ、松姫を迎え入れようとしていたといわれています。しかし本能寺の変にて信忠は自害。松姫は出家し、信忠の供養を行ったといわれています。
最期まで会うことのなかった2人ですが、戦国の時代の中で確かに惹かれ合っていた瞬間があったのかもしれません。

□家臣
信忠には有名な家臣が多くいましたが、その中でも「河尻秀隆」は特に織田家と関わりの深い武将です。秀隆は最初に織田信武に仕えた後、信長の父である信秀に、その後は織田信長に仕えました。信長の死後は信忠の補佐役として織田軍を統率しています。本能寺の変によって信長、信忠が自害すると、領地を放棄して美濃へ帰還する中、最期まで領国に留まり、織田家に尽くしています。
信長が信忠に対し、秀隆を父と思い何事も相談しなさいと告げたとも言われており、織田家特に信長に信頼を寄せられていた人物だったといわれています。

■織田信忠について
信長の子として織田家を率いた織田信忠。偉大な父である信長の存在により、あまり有名でない武将ですが、その実力はあの信長に賞賛されたほど。自害すらも惜しいと思われていた信忠の能力に迫ります。

□後継者としての能力
幼少期には信長に凡人といわれていた信忠ですがじきに織田信長の子として頭角を現し、成人のころには信長とともに石山合戦、伊勢長島攻めと各地を転戦して功績を残していました。あの長篠の戦いでも大いに貢献しており、岩村城の戦いでは総大将として出陣を果たしています。1100にものぼる武田軍を討ち取るなど武力にも長けており、数年後には美濃・尾張の二ヶ国を支配するまでになっています。
少数の兵力で武田軍と交戦していたこともあり、武将として十分な能力があったようです。
武力の他にも人望にも厚い男といわれており、家臣からも信用を置かれていたとされています。最終的には武田氏を滅亡に追いやっていることもあり、武将としての能力は信長以上にあったのかもしれません。

□もし、信忠が生きていたら
信忠はうつけと呼ばれた信長の息子でありながらも、人望に厚く能力も十分にあったことから現在でも「信忠が生きていたらどうなっていただろうか」と仮説を立てられることが多い武将でもあります。
最期は自害という形で生涯を終えましたが、信忠が生きていたらもしかすると織田氏が天下を果たしていたかもしれません。ともすれば歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。

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