後藤又兵衛(ごとうまたべえ)の最期――大坂夏の陣、道明寺に散った不屈の猛将と武士の矜持(きょうじ)
後藤又兵衛の最期となった大坂夏の陣・道明寺の戦い。黒田家を出奔し、流浪の末に大坂城へと入った猛将は、圧倒的な徳川の大軍を前に自らの命を捨石にして進撃を食い止めました。己の美学に殉じ、武士としての矜持を貫いた後藤又兵衛の波乱に満ちた生涯と、濃霧の小松山で散った壮絶な生き様をひもといていきます。
後藤又兵衛の最期となった大坂夏の陣・道明寺の戦い。黒田家を出奔し、流浪の末に大坂城へと入った猛将は、圧倒的な徳川の大軍を前に自らの命を捨石にして進撃を食い止めました。己の美学に殉じ、武士としての矜持を貫いた後藤又兵衛の波乱に満ちた生涯と、濃霧の小松山で散った壮絶な生き様をひもといていきます。
北条氏政の汁かけ飯──飯に汁を二度かけた逸話で「愚将」と呼ばれた男は、実は関東最大の版図を築いた名君だった。父・氏康との絆、秀吉への抗戦、そして空に帰ると詠んだ辞世の句に込められた誇り高き最後の当主の真実に迫る。
戦国最強と呼ばれた本多忠勝は、生涯五十七度の戦を駆け抜けながら一度も傷を負わなかった武将。名槍「蜻蛉切」を振るい、徳川家康に深い忠義を尽くした彼の壮烈な生涯と、無傷伝説の真の理由に迫ります。
武田勝頼の評価は近年、「暗愚な愚将」から「悲運の名将」へと大きく変わっています。偉大な父・信玄の跡を継ぎ、武田家最大の領土を築き上げながらも、長篠の戦いでの敗北や過酷な運命に翻弄された勝頼。裏切りと孤立のなか、最期まで己の誇りを貫いた若き当主の壮絶な生き様と、その真の姿に迫ります。
真田昌幸の凄さは、大軍が蹂躙する戦国時代にあって、徳川家康を二度も破り、愛する家族を分かつ「犬伏の別れ」を経てまで家名を存続させた圧倒的な戦術と執念にあります。関ヶ原の戦いでは上田城で大軍の到着を遅らせるなど、数々のエピソードが残る知将。彼が貫いた生存戦略と家族への愛をひもときます。
石田三成とはどんな人だったのか?豊臣秀吉に「三献の茶」で見出され、生涯を豊臣家のための「義」に捧げた不器用で真っ直ぐな知将の真実。島左近や大谷吉継との熱い絆、太閤検地の辣腕ぶり、そして関ヶ原の戦いから最期の瞬間まで、利益や保身の戦国世で理想を貫き通した石田三成の激動の生涯とその魅力に迫ります。
豊臣秀次の真実に迫る豊臣秀次事件。「殺生関白」と蔑まれ、無実の罪で切腹に追い込まれた二代目関白・秀次。近江八幡を開町し民に慕われた青年はなぜ自死を選んだのか。最上義光の娘・駒姫ら妻子39名の悲劇と、豊臣家滅亡への引き金となった冷酷な粛清の真実を追う、感動の歴史評伝エッセイ。
明智光秀の最後は小栗栖の竹林でした。本能寺の変で織田信長を討った「三日天下」の真実と、山崎の戦いから小栗栖での悲運の最期までをたどります。圧倒的な羽柴秀吉の軍勢を前に敗れ去った知将の胸中や、桔梗の旗印に込められた義の行方、南光坊天海としての生存伝説など、光秀の知られざるドラマに迫ります。
石川数正の「裏切り」は本当に徳川家康への叛逆だったのでしょうか。家康の最古参の重臣として苦楽を共にしながらも、なぜ数正は突如として豊臣秀吉の元へ出奔したのか。彼が主君のためにすべてを捨てて背負った自己犠牲の真実と、家康の沈黙に隠された二人の深い絆に迫ります。数正が語らなかった涙の理由とは。
前野長康が切腹に追い込まれた秀次事件。豊臣秀吉の天下取りを支えた古参宿老はなぜ悲劇の最期を遂げたのか。墨俣築城での活躍や確実な任務遂行で豊臣政権の重鎮となった男の、若き秀次への深い愛情と忠義、自ら罪をかぶって運命を受け入れた悲運の生涯と権力が内包する狂気の恐ろしさに迫る。