南光坊天海という深淵──徳川三代を導いた黒衣の宰相の正体と、泰平へ捧げた百年の祈り
南光坊天海の正体は明智光秀か、それとも乱世が生んだ怪僧か。徳川家康・秀忠・家光の三代を導き、江戸の都市結界を築いた「黒衣の宰相」は、自らの出自を消し去り不滅の泰平へ生涯を捧げた。柿の種に託した知恵、日光東照宮の呪術、大蔵経二十六万字に込めた祈りなど、百八歳を生きた怪僧の知られざる実像と深淵に迫る。
南光坊天海の正体は明智光秀か、それとも乱世が生んだ怪僧か。徳川家康・秀忠・家光の三代を導き、江戸の都市結界を築いた「黒衣の宰相」は、自らの出自を消し去り不滅の泰平へ生涯を捧げた。柿の種に託した知恵、日光東照宮の呪術、大蔵経二十六万字に込めた祈りなど、百八歳を生きた怪僧の知られざる実像と深淵に迫る。
織田信行が謀反を起こした理由とは?うつけと呼ばれた兄・信長に代わり織田家当主を期待された聡明な弟。重臣・柴田勝家らと共に稲生の戦いに挑むも、信長の狂気的な突撃の前に敗れ、悲劇的な最期を遂げるまでの数奇な運命と兄弟の葛藤に迫ります。
丹羽長秀と秀吉の関係は、憧れの巨星から主従へと逆転した苦渋の軌跡だった。織田家の筆頭宿老として秀吉の天下取りを支え、清須会議や賤ヶ岳で同胞・柴田勝家と袂を分かった長秀。百二十三万石の太守となりながらも、腹中の激痛と悔恨に苦しみ、己を殺して家と血脈を未来へ繋いだ気高き武将の生き様を描く。
毛利輝元は関ヶ原の戦いで西軍総大将に担ぎ上げられながら、大坂城から動かず領地を四分の一に削られた。しかし彼は単なる凡庸な神輿ではなく、西国政権の樹立を目指し能動的に動いていた。祖父・元就の遺訓「天下を競望せず」の呪縛と野心の狭間で葛藤した三代目の悲哀と、萩城に刻んだ執念の血涙を描く。
鳥居元忠は伏見城の戦いで四万の大軍を相手にわずか一千八百の兵で十三日間持ちこたえ、関ヶ原の勝利への道を切り拓いた。三河武士として五十年、ただ一人の主君・徳川家康のために命を捧げた忠義の老将の生涯と、血天井に刻まれた記憶をたどる。
織田信秀が銭の力で育成した家臣団の存在は、息子・信長が天下に手を伸ばすための巨大な土台となった。守護代の家臣から身を起こし、東海の今川義元や美濃の斎藤道三と渡り合った生涯。外交と経済力を駆使し、四十余年の短い人生で戦国の世に遺した鮮烈な軌跡と、彼が育て上げた精強な家臣たちの魅力に迫る。
小早川隆景の評価は、秀吉に「西の副柱」と頼まれ、黒田官兵衛をして「日本に賢人はいなくなった」と嘆かしめた完璧な智将像に留まらない。若き日の沼田乗っ取りの罪悪感、一族存続を期した戦略的縮小、そしてぬかるみの碧蹄館で見せた引き際の美学。冷徹な現実主義と仁愛に生きた希代の智将、その葛藤と生き様を描く。
黒田長政の数々の逸話には、偉大なる父・黒田官兵衛の影を乗り越え、乱世の幕を引き泰平の世を切り拓いた現実主義者の真髄が刻まれています。関ヶ原の調略や敗者への温情、空いていた左手の真実から兜の交換まで、単なる猛将にとどまらぬ知謀と情理を宿した戦国屈指の名将の知られざる実像と美学に迫ります。
山本勘助の実在をめぐる謎に迫る。後世の軍記物で天才軍師と称されながら、一時は架空の人物と断定された山本勘助。だが北海道や群馬で発見された古文書により、武田信玄の信任厚い足軽大将としての真実の姿が鮮やかによみがえった。不遇と異形を乗り越え、泥臭く乱世を駆け抜けた不屈の男の執念と生き様を描く。
高山右近の追放は、戦国時代において武士の誇りと信仰を貫き通した孤高の決断であった。織田信長や豊臣秀吉に仕えた名将であり、千利休の高弟としても名を馳せた右近。伴天連追放令に抗い、六万石の領地を捨ててマニラへと渡った男が、過酷な運命の果てに見出した武士の真髄と気高き生き様を描きます。